久し振りの山登り(奈良・稲村ケ岳1726m) [山登り]
2013年11月2日(土)晴れ、
我が山荘(普通の民家)のお隣さん(我輩のお抱え山岳ガイドさん)と
久し振りにお山に行ってまいりました。
奈良県大峰山系に有る稲村ケ岳標高1726m、
我輩にとっては初めての1500m越えのお山でした。
ガイドさんに続いて、ヒイヒイハアハア…
先を行くより後ろの方が楽でした!
稲村の山小屋に着きました!
予想どおり強い風が吹いていました。
稲村ヶ岳の手前に有る大日山、荷物を置いて一人で登ってみました。
ガイドさんに荷物番をお願いして…
大日山にはストック(スティックと言ってましたw)は不要です。
我輩は不案内だから持って行きましたが、本当に邪魔でした。
やっと稲村ケ岳頂上(展望台)に到着です。
1726mの眺望は少々霞んでいますが記念の登山となりました。
今まで我輩の山登りと言えば
生まれ育った神戸の裏山、再度山463m、摩耶山698m&六甲山931m、
そして現在の自宅の裏山、二上山517m、葛城山959m&金剛山1112m等のお山でした。
我が山荘の有る吉野郡黒滝村の近場には
沢山の名山がそびえています。
早出をすれば日帰り登山も十分可能なお山です。
大天井ケ岳1439m、山上ケ岳1719m、
稲村ケ岳1726m、大普賢岳1780m、
和佐又山1344m、弥山1895m、八経ヶ岳1915mなどです。
過去山岳ガイドさんに連れってもらったお山は
観音峰(観音平展望台)1285m、
高見山1248m、三峰山1235m、薊岳1400mでした。
今回は1500m越えのお山に
登れるか否かの自己テストみたいなものでした。
誰と登るかは別として
我輩にとっては非常に意味のある登山でした。
途中で大日山1628mにも登りましたので
今回は奈良のお山二つを登ったことになります。w
今秋、天気の良い時に
またどこかのお山に登ってみたいと思っています。
お抱え山岳ガイドさん、
お世話になりました!
そしてお昼のお握りとお味噌汁ごちそう様でした!
次回は我輩が
お昼の準備致しますね!
久し振りの山登り(奈良・観音峰) Part-2 [山登り]
先日の山登り(観音峰)でご一緒いただいたお友達が
DIGIBOOKに撮った写真を載せられましたので
ご紹介させていただきます。
我輩と違って、大変センス良く
プロ並みに編集コメントされており☆☆☆で、
一見の価値は有ると思いますので、
是非ご覧ください。
これは我輩が撮った写真です。w
クリック ⇒ http://www.digibook.net/d/1894e11fb098a2c0346356e25f2456f3/?m
友人からのメール
久しぶりの山登り(観音峰・奈良) [山登り]
6月28日(金)
久し振りに山登りに出掛けました。
奈良県吉野郡天川村の
観音峰にキャンプ場バイト仲間と二人で登りました。
風景や植物の写真を撮りながら
片道約1時間半弱の山登りでしたが、お目当てのヤマシャクヤクは
二人の勘違いか(5月末→6月末)既に散った後でした。
観音峰展望台からは奈良の名山が360度のパノラマが楽しめます。
我らはこの展望台(1208m)でストップ致しました。
弥山 1895m 八経ケ岳 1915m 頂仙岳 1717m
ヤマシャクヤクは見えないけれど、
我ら団塊世代は
ちょっとやそっとで諦めません!
そう先輩たちに叩き込まれました。
沢山咲いているのを観るよりも、ならば草の根分けて探し出し
こっそり&ひっそり咲いているヤマシャクヤクを
観るのも良いではないかと…
見つかってもこんな具合で…
先輩が見つけました!まだ可能性が…
こんなきれいな花が、探せばあるのだ !
どうだい、どうだい、我ら団塊魂!
来年は、時期を間違えずに、登ります!
ヤマアジサイ、目立たないですが清楚なお花です…
我輩みたいな…www
2013年初登山(二上山・奈良/大阪) [山登り]
今朝起きて
なんと無く、山にでも登ろかな…?と思い立ち
裏山の二上山へ登ってきました。
BLOGを立ち上げた頃
ダイアモンドトレール挑戦で登ったのが最後…?
久し振りに登りましたが
体重は重くなっているし、膝も痛いし…で
のんびり・ゆっくりの山登りになりました。
當麻ふるさと公園からスタート…
葛城の酒蔵「透泉」の前を…
良い雰囲気の村中を抜け…
祐泉寺、ここから登山道らしき登山道を…
階段はやっぱり辛い…
このでっかい岩はいつから有るのだろうか…
雄岳に登り雌岳に登り、お昼ご飯を…
登頂時間はほぼ正午、おにぎりが美味しかった!
下山時、思った以上に膝が痛かったので
帰宅後両ひざに湿布して、今PCを叩いています。w
思いがけない高見山樹氷ウォッチング~ [山登り]
山荘から遠くの山を眺めると
ウヌ…雪が積もっているではないか?
※我が山荘から観た山の雪景色
てな訳で今日、お隣のお抱え山岳ガイドさんと
生まれてはじめての
高見山登山とあいなった!
※山荘を出る前にパシャリ!
車で黒滝→大淀→東吉野→杉谷高見山登山口へと出発!
山荘を出たのは午前6時半
登山口へは小一時間で到着
山荘を出る時は寒かったけれどドピーカンの晴天
衣類調整をして準備オッケー!
我輩の人生初の高見山登山がスタートした
日本のモンブラン高見山
標高1248.3m
ガイドさんが熟年素人ハイカーの我輩の為に選んでくれたルートは
杉谷登山口→(約1時間・のぼり)→小峠
小峠→(約20分・のぼり)→杉谷平野分岐
杉谷平野分岐→(約1時間・のぼり)→高見山山頂
高見山山頂→(約25分・くだり)→大峠
大峠→(約20分・くだり)→杉谷登山口
ランチタイムや写真撮影、休息時間と雪道での減速を加えて約5時間程の行程
登っては止まり登っては保水ではあったけれど
ほぼ計画通りに進み
もう直ぐ4月になると言うのに
諦めていた高見山登山は天候に恵まれて
素晴らしい&感動的な樹氷ウォッチング登山とあいなった!
あれこれ説明は抜きにして
我輩がヒーヒーハーハー悶えながら撮影した画像をご覧いただきたい!
晴天に恵まれた高見山登山は雪の無い山道からスタートした!
高見山はこんな霧氷で出迎えてくれました!
青空をバックにブナの樹氷が輝いていた
雪化粧した鉛色の幹と樹氷と青空のコラボが幻想的
霧氷に雪がランデブー?
樹氷を身にまとい、太い幹が空に向かって…、感動の一瞬
感動のあまり、シャッターを「もう一度!」
青空が素晴らしい演出をしてくれた
美しい樹氷とツーショット(笑い)
台高山脈の山々も薄っすらと雪化粧、空気が旨い!
樹氷の合間から広大な世界が…
雪と氷の芸術、来て良かった!
深いところは30cm、平均20センチほどの積雪が
樹氷が風に吹かれてキラキラと針の様な雪を降らせる
言葉が有りません、ガイドさんは良かったよかったと…
ここを登り切ると展望台&非難小屋
かっこうだけは一人前の我輩、アイゼン持ってきたけどいらんかったなぁ~!
高見山山頂の高角神社で初めて登山者に遭遇
今日の登山は「高見山三人貸切」だった!
ガイドさんにならって「パチパチ」と、願い事を忘れた!
積雪+樹氷+山並み+青空
山頂から鯨を狙っているのではありましぇ~ん!w
ガイドさんはまたもや手を上げて何をされているのやら?
「助けて~、こっちこっち!」てなこと叫んでいるのではありましぇ~ん!w
樹氷越しに見る山並みはまた格別、日常を忘れる
ガイドさんから「あれが○○山、その横が△△山」等々説明はありましたが
覚えておりません、また機会が有れば…
途中で鹿・うさぎ・鳥などの足跡が沢山見受けられた
めちゃくちゃ早めのランチはこんな熱々お鍋
胡椒とにんにくパウダー入り七味唐辛子でいただきました!
どんな三ツ星レストランもこれには脱帽ではないだろうか?
旨かった!美味しかった!暖まりました!
ご馳走さまでした!
くだり(ランチ場所)から見た高見山はこんな感じ
ここでデジカメのSDカードが満杯になり撮影不可となり
約50分の下山を経て
今日の「思いがけない高見山樹氷ウォッチング~」は終了とあいなった!
ガイドさんの報告によるとラジオの天気予報の人が
「今日は天候に恵まれ、まさに雪月花ですね~!」と言っていたらしい。
どうやら今夜は満月で、月と桜と雪の三役揃い踏み!
そして「春に三日の晴れは無し」とも…
明日からまた天気が少しくずれるらしい!
今、外に飛び出して夜空を見上げると寒空に
オリオン座が輝いていた…!
中央の三ツ星は月と桜と雪を意味しているのであろうか…
感動をありがとう!
THE END
即席登山(観音峰・奈良洞川)Part-2 [山登り]
我がBLOG友達の「夏炉冬扇さん」がご興味があられる様なのでネットで調べてコピペ(コピー&ペースト)して、この機会に我輩も勉強させていただきました。少々内容が重たいのでご興味ある方のみご覧ください。
観音峰南朝ロマン小径の道中にある説明板の記載内容です!
①「東吉野天川南朝物語 動乱の勃発(建武の中興)」
これは後醍醐天皇の御世のことでございます。鎌倉幕府の君主の徳はうすれ、荘園の支配に反抗した武士たちの戦がそこここで起こり、民の安穏な暮らしは失われてゆきました。おりしも、元亨元年(1321)の大干ばつで餓死すうr者は野に満ち、あたかも地獄絵を見るようなありさまで、世は乱れに乱れたのでございます。
この天下の騒乱や飢饉のさまをご覧になった後醍醐天皇は、天皇政治の復興をお図りになりました。が、この事がもれ、天皇は無念にも隠岐島に配流となりました。このとき、その皇子(みこ)の一人大塔宮護良(だいとうのみやもりなが)親王は、からくも追捕軍の手をのがれ、大峯から吉野へ、天川から高野へと潜行しながら活躍され、天川郷民には勤王の令旨を、諸国の勤王の士には皇軍勃起の令旨をお発しになりました。
ほどなく、楠木正成が赤坂城を奪回し、護良親王が吉野に挙兵されますと、これに応じて諸国の雄が令旨になびき、さらに足利尊氏、新田義貞など有力御家人が幕府に反旗を翻し、ついに鎌倉幕府は倒れました。
元弘三年(1333)、征夷大将軍に任ぜられた護良親王入京の行列のなかには、吉野軍の兵五百を従えた天川郷の頭領で、かつて大海人皇子(おおあまのおうじ:後の天武天皇)をささえた吉野の豪族角氏の末裔、加藤太郎光直の雄姿がございました。
②「吉野の南朝」
後醍醐天皇の建武の中興の夢は、わずか一年余りで破れました。足利尊氏が離反して光明天皇を擁立しますと、後醍醐天皇は吉野に逃れて朝廷をお開きになり、ここに再興のすべてをかけられました。
吉野天川は、吉野山を入り口とし、けわしい山々が連なって天然の砦となり、山岳地帯で、壬申の乱の大海人皇子、南朝の護良親王等、都を追われた人々が再起を期して身をお清めになられた、深い縁で結ばれたところでございます。これ以後五十七年のあいだ、南北二つの朝廷に分かれての動乱の時代、後醍醐天皇から後村上天皇、長慶天皇、後亀山天皇の四代にわたって南朝の拠点とされました。
ここ天川村は、また全国にまたがる修験道の拠点で、情報をよく集めることができ、交通の要衝でもありました。すなわち、西は紀ノ川から瀬戸内海に通じ、東は伊賀・伊勢から、南は十津川から熊野灘に通じています。
後醍醐天皇が頼みとする勤王の郷士たちや吉野熊野の修験者たちは、海上の水軍勢力とも連携し、南朝をささえるべく暗躍したようです。しかしながら、天皇やその皇子たち、貴族たちの多くは京都へもどることのできる日をあてなく思い焦がれながら、この地で生涯終えることになったのでございます。
③「吉野山炎上」
四条畷の決戦前、死を覚悟した楠木正行兄弟は、吉野山での後村上天皇との涙の別れのなかで、「進退を慎重にし、永く忠勤を励め」とのおことばをいただきましたが、圧倒的な幕軍に果敢にいどみ、奮戦むなしく討死なさいました。
正平三年(1348)一月、四条隆資(たかすけ)は急いで吉野の行宮に戻り、「昨日、正行すでに討たれ、明日、幕軍大挙して襲来いたします。これを防ぐ兵はおりません。今夜にも急ぎ天川の奥、穴太の辺へ落ちられますよう」と申し上げると、三種の神器を携えて、天皇、女院、皇后、准后、内親王、宮々などとともに、とるものとりあえず、あわて騒いで尾根づたいに吉野の奥、ここ観音峯へと落ちのびられました。
この頃、幕軍、人けのない吉野行宮に襲来し、火を放つと、風は強く、蔵王堂、諸坊舎等すべて灰燼に帰しました。
天皇は、ほどなく観音峯より沢原の光遍寺へと移られ、しばらく行在所とされました。危急のなかで天川郷士たちの忠勤ぶりにいたく感激され、次第に落ち着きをとりものされたようです。そのとき、お側でかいがいしくお世話申し上げる一人の娘をご寵愛になりました。天川郷沢原の片山氏の娘で、ほどなく第十皇子賢光を宿し、この皇子は天皇のご意向により長じてこの寺をお継ぎになられたのでございます。
④「天川郷位衆伝御」
天川郷には、多くの南朝方の武将たちが住み着くことになりました。新田義貞勢や北畠顕家とともに西征した奥州出羽の守護藤原家、南朝天皇に供奉(ぐぶ)した廷臣などもそうでございます。
天川の郷士たちは、これらの人々を中心として奥吉野の基地を整えるべく、南朝警護隊を組織しました。そして正平五年(1350)、後村上天皇より「後醍醐天皇の綸旨(りんし)にあるように、天川郷の課役免除に変わりはないので忠節を尽くすように」との綸旨とともに、南朝警護隊の天川郷士たちに、位衆傳御(いしゅうおとな)の命名を賜るに至りました。天川輩らは南朝守護の勅願寺として河合寺(かごうじ)建立(天川村川合)を上奏し、綸旨を受けて正平六年(1351)に完成させ、南朝の戦勝御祈祷を執り行いました。この年、足利尊氏は弟の直義との対立により朝廷に和睦を申し入れてきましたので、これを機に、南軍は宿願の京都奪回を果たしました。
この正平一統により、後村上天皇は吉野を出て摂津の住吉神社に本営を移されました。このとき吉野十八郷の兵五百七十人を指揮したのは、輩の藤原定季(さだすえ)で、もちろんここに天川郷位衆傳御組の姿もございました。
「お歌石」
元弘二年十一月、吉野山に兵を挙げた大塔宮護良親王は、この合戦に敗れ、からくも落ちのびて天川郷の観音峯の岩屋に身をお隠しになったとき、藤原俊成卿の歌「よしの山 花のちるらん天の川 雲の堤を洗うしらなみ」を替えて、次のように詠まれたと伝えられています。
よしの山 花ぞちるらん天の川 くものつつみをくずすしらなみ
この観音峯には、かつてこの歌が彫り込まれた石があり、「お歌石」として知られていました。けれども、石灰岩に彫り込まれたその文字は、いつしか風化して失われてしましました。よってここに新たにお歌石を刻む次第です。 平成十一年
⑤「観音峯の戦い」
正平七年(1352)、吉野朝廷の人々が夢見た京都奪回がついに実現いたしました。が、それも束の間のこと、再び北軍が巻き返し、南軍北軍めまぐるしく京都を奪い合い、結局北軍の勝利に終わりました。
この後、後村上天皇に崩御し、長慶天皇が即位されました。
さて、南朝軍の柱である楠木正儀が甘言に誘われて突然幕府方に寝返ったことから、長慶天皇は皇太子煕成(ひろなり)親王に三種の神器をもたせ、吉野の奥深くにお隠しになりました。その後楠木正儀をはじめとする幕軍の攻撃により、天皇もまた吉野の奥へと遷幸され、天川郷位衆傳御組はこれを警護し奉って河合寺の黒木御所に迎えました。そして、郷民をあげて長慶天皇や煕成親王らを坪内の御所ノ坊、沢原の光遍が、野川勢を中心とする逆徒が執拗に襲来したため、これを迎え撃って戦いをくりひろげました。この戦いで河合寺は焼失し、長慶天皇や煕成親王は観音の岩屋に避難されました。が、ここまでも追手があり、天川郷士たちはこれを撃退し、尾根づたいに洞川の龍泉寺へとご案内申し上げたのでございます。
この後、賀名生(あのう:西吉野村)の御所に戻られた長慶天皇は、歌会にてこう詠まれています。
浅からぬ ちぎりもしるし天の川
はしは紅葉の枝を交はして
⑥「天川郷に御所があった」
後村上天皇が吉野から天川へ落ちのびられたとき、この観音の岩屋に籠もられた一夜の夢に十一面観音が現れて、河合寺が安住の場所とのお告げをお受けになられました。爾来、この観世音を守り本尊としてご信仰になり、この山を観音峯と名付けられました。
そして、天川輩らによる南朝守護の勅願寺河合寺建立後は、この寺を黒木御所とされました。天皇は南軍を指揮して天川や賀名生の黒木御所から河内(かわち)の観心寺や天野(あまの)山金剛寺、摂津の住吉や男山等々に移られ、精力的にご活躍なさいました。
この間、天川郷に逃れられた女院、皇后、准后、内親王、宮々たちは、この郷に長らくとどまっておられました。坪内の天河大弁財天社近くには、古来、天河社の坊舎七坊の筆頭として御所ノ坊があり、ここにお潜(ひそ)みになっていたのでございます。
後村上天皇皇后嘉喜門院集には、このような御歌(みうた)が記されています。
たづねつつ わけ入るままに咲く花の
にほひも深しみよしのの奥
たなばたの 暮るるたつまに先だちて
秋風わたる天の河なみ
また「天授三年(1377)七月七日、行宮(あんぐう)にて嘉喜門院、琵琶を弾じ、天皇和歌を詠じ給う」と御所ノ坊でのことが記されています。天河大弁財天社には嘉喜門院御愛用の琵琶が残されており、毎年七月七日は弁財天降臨の日として妙なる琵琶の調べとともに、荘厳な神事が行われてきたのでございます。
即席登山(観音峰・奈良洞川) [山登り]
今日ものんびり朝寝して、少々ちらかった山荘の掃除や洗濯をしていたらお隣さんから電話が。
「お天気も良いし、今から山に行きましょうか?お昼ごろには帰ってこれるから…」
「行くで~。何時に出発しよか?」
「9時半に出発、近場なので装備は簡単でええよ!」
てな訳で今日の即席登山は9時半にスタートとなりました。行き先は洞川から観音峰(標高1347m)。我が山荘から車で20分ほど走ると「南朝ロマンの小径入り口・観音峰登山口休憩所」に到着、忘れ物が無いかチェックして早速登山開始。観音峰への往復は少々時間的に無理があるので観音峰展望台(標高1285m)、往復3時間弱をめざすことになりました。
以前から洞川ゴロゴロ水汲みで良く知った登山口ではあったが、「我輩には無理では…」と敬遠していた山であるが、我が山荘のお隣さん(お抱え登山ガイド)が我輩の体力を考慮して選んでくれた山登りなので、安心して登る事にしました!
色々文書でご説明も良いですが、即席登山と名づけた以上、簡単に分かり易く画像でご覧ください!
※登山口
※途中の休憩所(東屋)
※玉八大権現の石碑、階段を登ると観音の岩屋がある
※石灰質の岩があちこちに、紅葉のピークの時は奇麗だろう
※大きな岩に歌が刻まれていた。(忘れた!)
※岩屋近くは巨大な岩の崖が…
※岩屋、ここに南朝時代どなたかが身を隠し、そこに観音様が現れたと…(忘れた!)
※少しだけだが紅葉が残っていて奇麗だった
※来年の紅葉の時期には必ず来ようと思っている
※白っぽい石灰質の岩があちこちに
※知る人には知られた紅葉スポット(我輩は知らなかった)
※我輩のお抱え登山ガイドさんとツーショット!
※???
※左のとんがった山が大日山(1689メートル)右が稲村ヶ岳(1726m)、雪景色が奇麗だ!
※観音峰(1347m)がこの奥に…
※???
※???
※右はバリゴヤの頭&鉄山…???
※遠く金剛山、葛城山、二上山が望めるが…???
※又しても大日山と稲村ヶ岳
※誕生日を祝ってボージョレ・ヌーボーも持参してくれました。食事&飲み物全てお隣さんが…
※ウインナーが入ったホカホカポトフ(?)、美味かった!
※カチョカバロ(?)というチーズを焼いて暖かなパンにはさんでいただきました。旨かった~!
登っている間は少し曇り空であったが、我らが観音峰展望台(1285m)に到着した直後からお日様と青空も仲間入り、壮大なパノラマを堪能することが出来たのであります。
山上ヶ岳(1719m)→大日山(1689m)→稲村ヶ岳(1726m)→バリゴヤの頭(1580m)→鉄山(1563m)→弥山(1895m)→八経ヶ岳(1915m・関西最高峰)→頂仙岳(1717m)→金剛山(1125m)→葛城山(959m)→二上山(517m)→山上ヶ岳(1719m)の大パノラマである。
我が山荘(黒滝村)から往復約4時間ほどのお気軽登山スポット(行って・登って・眺めて・食べて・休んで・下って・帰って)、紅葉の季節、雪の季節(樹氷)にも登ってみたいお山でした!(実質一時間弱の登山です)今日で二回目のガイド付き奈良のお山登山、還暦を迎えた団塊オヤジの心の中に「山登り」という単語がムクムクと蘇りだしたのであります。
お隣さん、有難うございました!これからも我輩のお抱え登山ガイド、宜しく!
今日は自宅に戻りささやかながら「誕生日」「還暦祝い」「結婚記念日」(11月20日)を祝いました!
※今年の誕生日が32回目の結婚記念日だと言うことを忘れておりました!
金剛山に登ってきました! [山登り]
予告どおり、今朝8時ごろ自宅を出発して金剛山へ樹氷を見に行ってきた。天気は「曇り後雪、所によって時々晴れ」って感じのまずまずの登山日和であった。
近鉄南大阪線「二上神社口駅」から電車に乗って「古市駅」で近鉄河内長野線に乗換え、近鉄河内長野駅に到着したのは8時20分頃、駅の蕎麦屋で暖かい@270円のはいから蕎麦で腹ごしらえをして南海バスに乗って金剛山登山口に向かう。バスが登山口ついたのは午前9時半ごろ、近くのトイレで雪山装備を準備して9時45分から登山開始となった。
5分ほど歩くと登山道が白く変わってきたので、昨日購入したアイゼンを装着した。予行演習どおり簡単に装着が出来、凍てついた雪面をザクザクと気持ちよく進む。しかし、一昨年の夏場にダイアモンドトレール完走以後、山登りから遠のいていた我輩の足取りは一気に減速、実力に合わせた足取りと休憩を取りながら一歩一歩進む事にした。
今日は地元の小学生や中高生達がわんさと耐寒登山に押し寄せていた。我輩は大阪の女子校の学生さん達と同時期のスタート、団塊世代の面子にかけて置いてきぼりとならぬよう必死のパッチで頑張った。頑張った甲斐が有ったのか無かったのかは知らないが、無事に同時ゴールとあいなった。静かな雪山登山を期待していたが、若い娘さんは元気が良い。ワーワーギャーギャーと賑やかな登山となったが、勿論我輩は無言で足元を見つめながら、時々「こんにちわ~」と声を掛けられるとニヤリとニヒルな笑顔を作って頭を上げて「こんにちは!」と答えるって感じで頂上を目指していた。
※我輩の後ろに大軍団が続々つづく
「こんにちわ~」と声が聞えたので、小さな声でふざけて「今晩は…!」と答えたら、ヒソヒソ声で何かを喋りながら&笑顔でチラチラ後ろを振り向きながら小走りで走りさり、少々我輩との距離をとって歩いていた様に思う。我輩は心の中で、変なオッサンは無視してその場から迅速に離れろという先生方の指導が徹底しているなと変な安心をしたのである。w
頂上に着いたのは、11時30分。ちょうど1時間45分かかった事のなる。
※オニギリを食べていた人に撮ってもらった「有難う!」
※キジバト(20080210修正)
※餌場に集まっていたヤマガラの一羽(20080210修正)
今日の登山コースを下記にご紹介しておく。地図によると健脚で約3時間程のコースであるが、雪道にアイゼンというやや不慣れな歩みに写真撮影などが加わったにもかかわらず、トレーニング無しでこのタイム、団塊オヤジのど根性(面子)を何とか保てたのではないだろうか…?(注)夏場、元気なオッちゃんはこのコースを1時間半ほどで往復するらしい。
【登り】登山口→千早本道→山頂広場→転法輪寺→葛木神社→展望台→ちはや園地→香楠荘(昼ごはん)→【下り】キャンプ場→伏見峠→念仏坂→ロープウェー前
登りだした頃はやや曇り空、少し進むと雪が降り霧も出た。山頂に着いた時にも雪がチラチラ降っていた。昼食をとる頃には時々青空が薄っすらと雲間から顔をのぞかせてくれた。冬山登山という物を知らない我輩ではあるが、視界もそこそこ「まあまあ、コンディションは良かったのでは…」と満足している。
昨夜雪が降ったので、樹氷も雪の帽子をかぶって「お~いオッサン、これが樹氷だ~!」という感じではなかったが、樹氷を見たことが無い我輩にとっては雪の帽子を被っていろうが無かろうが、「お前は樹氷なのだ!」とこちらは大満足であったのである。
明日は久し振りの金剛山登山! [山登り]
寒い冬、家にこもってダラダラ生活が続いていたので、明日は思い切って雪の金剛山へ登る予定だ。金剛山は標高1125m、この間の大雪で積雪が30センチ程アイゼンが無ければ登れないらしいので、今日○日山荘でアイゼンを買ってきた。2000円位で…と思っていたら、なんとピンからキリまで。お店のスタッフに相談すると5000円近辺の6本爪(中低山用)がお勧めとのことだったので、お勧めを購入した。
※最近のアイゼンは簡単に装着出来る様になっている
アイゼンを付けての冬山登山は初めてなので、色々とネットで調べてみたら、普段使い慣れていないとアイゼンの爪を衣服や片側のアイゼンに引っ掛けたり、雪道の岩や木の根っこに引っ掛けて良く転倒するらしい(特に下りが注意)。明日は久し振りの登山でもあるし、初めての雪山でもあるので転倒せぬよう時間をかけてゆっくりと安全第一で登ってこようと思っている。
明日は朝の連ドラ「ちりとてちん」(NHK第二)を観てから電車で出発しようと思っている。綺麗な樹氷の写真が撮れればいいなぁ~と思っている。明日天気になぁ~れ!
では、お休みなさい!